日常の中には、ふと立ち止まって考えたくなる“小さな謎”があります。
「パン粉ってパンなの?」みたいな軽い問いから、「人はなぜ変われないのか」という重たいテーマまで。
どちらも、私たちが生きる日々の中に潜んでいる“ちょっと気になる”話です。
今回はそんな、ゆるくて、でも少しだけ深い話を、2つほど綴ってみました。
① パン粉ってパンじゃないの?という哲学的迷宮
最近はYouTubeとVODの海を漂う日々。地上波テレビなんて、もはや“昭和の遺物”扱い。そんな私が久しぶりにリモコンを手に取り、テレビをつけてみたら——まさかの「玉子焼き器で作るアイデア料理特集」!
料理好きの血が騒ぎ、「ほう、玉子焼き器とな?」と興味津々で見ていると、次に登場したのが“パンを使わないフレンチトースト”。
……え、パンを使わないフレンチトースト?どういうこと!?
「豆腐か?」「いや、お麩か?」「もしかしてライスブレッド革命か?」と予想を膨らませる私。
ところが、材料紹介のテロップに映った文字を見て、時が止まりました。
『材料:玉子、パン粉…』
パン粉!?
……いや、それパンやん!!
パンの粉って書いてパン粉やん!なぜそれを“パンを使わない”って言い張るの!?
試食コーナーでは出演者が「うわ〜、パンみたい!」って言ってるけど、そりゃそうでしょ!パンなんだから!
しかし、そこでふと脳内に哲学の扉が開きました。
「……もしかして、パン粉ってパンじゃないのか?」
気になって検索。
結果:「パン粉とは、パンを粉砕して粒状にした調理素材です」
うん、やっぱりパンじゃん。
さらに深掘りすると、「パン粉はパンの一種と考えても誤りではないが、パンそのものではない」とのこと。
え、つまりパンなの?違うの?どっちなの?このグレーゾーン、まるで“カレーは飲み物です”理論。
結論:パン粉はパンであり、パンではない。
まさにシュレディンガーのパン。
どうでもいいことだけど、こういう「どっちでもいい問題」ほど、夜中に考え出すと止まらなくなるんですよね。
今夜も私は、冷蔵庫の奥で眠るパン粉にそっと問いかけるのでした。
パン粉はパンか否か――答えは、あなたのフライパンの中に。
② 変わらないものと、変われない人
先日、友人から「少し相談に乗ってほしい」との連絡を受けました。
内容は、職場での上司との関係について。
その上司から、「あなたがいると職場の雰囲気が悪くなる」「みんなあなたと仕事をしたくないと言っている」などの発言を受けたとのことでした。
契約更新の際にも「無理に更新しなくてもいいですよ」と告げられたそうです。
これらの発言は、状況によってはパワーハラスメントやモラルハラスメントと見なされてもおかしくありません。もちろん、私が聞いたのは友人側からの話にすぎず、事実関係の全容は分かりません。
ただ、その上司を私も以前知っており、「ああ、やはり言いそうだ」と思ってしまった自分がいました。
数年経っても変わらないその姿勢に、残念さと同時に、“変われない人”の持つ哀しさを感じざるを得ませんでした。
人は、誰しも変わることができます。
しかし、変わるためには「意志」と「努力」が必要です。
変わらないことが必ずしも悪ではありませんが、他者を傷つけるような“変わらなさ”は、組織にとっても個人にとってもリスクとなり得ます。
職場という環境は、単に業務を遂行する場ではなく、「人が人とどう関わるか」を問われる場でもあります。
人間関係の歪みは、仕事の質以上に職場全体の雰囲気を左右します。
部外者としてこれ以上踏み込むことはできませんが、私は、誰かが「変わらない苦しさ」に直面したとき、寄り添える存在でありたいと願っています。
変わらない人を責めるより、変われる自分を信じる方が、ずっと前向きで建設的だと思います。
この話は、友人から聞いた出来事をもとにしていますが、事実の断定はしておらず、あくまで個人的な感想と解釈です。
玉子焼き機のように、形はあるけど中身はふわっとしています。